抄録
シナプスの適切な形成および可塑性が正常な神経回路の基盤であることに疑いの余地は無く、様々な精神疾患の病因・病態生理にシナプスが関与していると示唆されている。古くは電気けいれん療法(ECT)、最近では深部脳刺激療法(DBS)、経頭蓋磁気刺激法(TMS)、ニューロフィードバック法などの様々な脳活動制御法が臨床応用されている。これらの治療効果の作用機序は、何らかのシナプス可塑性を介して脳神経回路の活動を変化させていると“考えられている”。一方で、作用機序に関しては、どれほどの強固なエビデンスが蓄積しているのだろうか?少なくともヒト研究では、その作用メカニズムを因果関係で証明したものは無い。どうやら、電極などのデバイスから発生させた刺激パルスを持続的に送りこむことで、“異常をきたした脳の機能を上書き修正する”ことで臨床症状をコントロールするらしいという傍証にすぎない。このような基礎神経科学が膠着状態の中で、筆者にとって衝撃的な報告があった。治療抵抗性うつ病に対するオーダーメイドのパラメータセットを組み込んだ二重盲検無作為化DBSの症例報告である。オーダーメイドのトリックは、患者の頭蓋内記録から得られた大量の電気記録を逆解法で解き、個別化・最適化されたDBS刺激パラメータを算出したことだった。そして、DBSのプログラマーのみが最適化DBS刺激かダミー刺激かを知りうる状態で、すなわち当該患者も医療従事者も治療プログラムを知らぬ二重盲検試験の結果、ダミー刺激でなく、最適化DBS刺激だけが症状の寛解につながったのだ。この症例報告を見て、基礎研究者のわたしは、壮大な敗北感を覚えた。最早、脳の作動原理など分からなくとも、データ駆動の逆問題を解ければ、患者は良くなるのである。そんな中で、基礎神経科学の貢献を見返してみる。詳細は本稿に譲るが光遺伝学と薬理学をマウスモデルに駆使した結果、DBSプロトコールを劇的に改善することに成功したという研究が目を引いた。そのメカニズム解明の緻密さは圧巻である。やはり、脳はブラックボックスのまま放置するべきものではなく、分子・シナプス・回路レベルのメカニズムに立脚した治療法の開発も引き続き目指すべきである。本稿では、このような基礎神経科学が貢献しうる技術や知見について紹介したい。
シナプス:神経回路の基本素子
神経細胞は軸索という長い突起を伸ばし、軸索終末は他の神経細胞の樹状突起や細胞体に連結する。軸索終末は直接融合しているのではなく、シナプスと呼ばれる数十nmの隙間を隔てて、神経伝達物質により“化学的に”接続する。神経伝達物質が興奮性シナプス後電位(EPSP)を介して膜電位を上昇させる場合は興奮性シナプスと呼ばれ、抑制性シナプス後電位を介して膜電位を低下させるものが抑制性シナプスである。前者の代表例がグルタミン酸であり、この業界の頻出ワードであるN-Methyl-D-Aspartate受容体(NMDAR)はその代表的な受容体であるし、抑制性伝達物質の代表であるγ-aminobutyric acid(GABA)も精神疾患研究でしばしば登場するキー分子である。AMPA受容体などの非NMDA型グルタミン酸受容体が通常の神経伝達に関与することに対して、NMDA受容体は通常の神経伝達のみならず神経伝達の効率を変化させること(シナプス可塑性)が大きな特徴である。シナプス後部のNMDA受容体にグルタミン酸が結合すると、興奮性の膜電位応答とともに、ニューロン内にカルシウムイオンが流入し、それが契機となってCaMKII、PKA、PKCなどの様々な酵素系を活性化し、多くのタイプのシナプス可塑性に必須な役割を担う。シナプスの可塑性こそ脳神経回路のアップデートの細胞基盤であるし、学習や記憶の基本素子と言われる所以である。興味深いことに多くの精神疾患の病態生理にシナプスが関与していることが知られている。そのエビデンスは、人類遺伝学、死後脳研究、ヒト脳機能イメージング、ヒトiPS細胞からの知見など多岐にわたる1。統合失調症では遺伝的素因が関与することが知られているが、24,248人の統合失調症、97,322人の健常者を用いた最新の大規模ゲノム解析によれば、NMDA受容体のサブユニットをコードするGRIN2Aなどのグルタミン酸シナプス関連シグナルの関与を追試しているし、このようなリスク遺伝子は、自閉症などのさまざまな精神疾患とオーバーラップすることも明らかにされた2。また、NMDA受容体拮抗薬であるフェンサイクリジン(PCP)の乱用者が,統合失調症とよく似た精神症状を示すことも特筆に値する。アンフェタミンなどのドーパミン作動薬は、統合失調症でみられるような幻聴や被害妄想などの“陽性症状”様所見を誘発するものの、本症の中核症状とも言うべき“陰性症状”や“認知機能障害”を忠実に再現出来ない。一方で、PCPによる統合失調症様の臨床所見は、陽性・陰性・認知機能を幅広く再現し、経験を積んだ精神科医ですら典型的なPCP誘発性精神症状と統合失調症を区別することは出来ないと言われている。うつ病に関しては、何らかの遺伝的要因を持つ者に、ストレスなどの環境因の負荷が契機となり発症すると考えられているが、抗うつ薬がセロトニンやノルアドレナリン伝達を制御すること、近年大きな注目を集めている抗うつ薬であるケタミン3の結合部位がNMDA受容体であることより(ケタミンの抗うつ薬メカニズムに関しては諸説あるので、他誌を参照にされたい)、うつ病も何らかのシナプス・回路異常と言える。実際に、高次脳機能の中核ともいえる前頭前野でのシナプス関連遺伝子の発現低下やグルタミン酸シナプスが形成される主要な構造物である樹状突起スパインが減少していることも知られており4、やはりうつ病においても、何らかのシナプスの病態生理への関与は大きいと考えられる。
シナプス、神経統合、神経回路動態との複雑な関係
主要な精神疾患の病態生理にシナプスの機能の変調があるとして、一体、どのような変調が病因・病態生理となり、最終的に行動変容を惹起するのであろうか?シナプス入力は、出力細胞が興奮性か抑制性かによって、神経回路への影響は異なる。また神経回路内において、どの細胞がどの細胞に出力するかにより、フィードバック結合になったりフィードフォワード結合になったりする。両者のバランスにより、ある細胞群の同期発火が起こりやすくなり、もしくはシナプス競合が起こりやすくなりと、神経回路のダイナミクスが変化する。またシナプスによる神経伝達はデジタル信号が忠実に信号をリレーするわけでは無いことも重要である。大きな神経細胞になると、単一の細胞当たり約1万個のシナプス入力を受け、興奮性シナプス後電位(EPSP)と抑制性シナプス後電位(IPSP)が神経細胞体および軸索小丘まで伝わり、ここで統合され、最終的に発火するか否かが決まる。この過程を神経統合と呼び、この時にどのような演算、例えば、加算、減算、乗算、除算、論理演算などが行われる。AMPA受容体を介する興奮性入力が加算だとすれば、減算がGABA、NMDA受容体は興奮性シナプス入力を単純な加算から、乗算のような複雑な超線形演算に変換することが知られている。本稿の本題とは逸れてしまうが、ヒト神経細胞の論理演算機能についても大変興味深いため、短く言及する。ヒトの神経細胞の電気生理実験を行う研究室は世界でも少ないが、重要な知見が次々に見出されている。Markumらは5、脳外科手術より治療のために切除した大脳皮質のII/III層の電気生理実験において、齧歯類では観察されないヒト特異的な樹状突起演算を神経細胞が行い、単一細胞レベルにおいて排他的論理和(XOR)演算をすることが可能であると示唆した5。この文脈における排他的論理和とは、2つの神経回路AとBの入力がある場合、Aからのみの入力があれば発火するし、Bからのみの入力でも発火する。しかしAとBから同時に入力があると発火しない。興奮性シナプス入力が単純に加算されるならば発火しないと道理が合わないのだが、発火しなくなるという結果なのである。このような排他的論理和の演算は、ニューラルネットワーク理論によって、複数層の神経回路構造がないと不可能であると考えられていたため、単一細胞でこのような演算が可能であることは驚きをもって受け止められている。ヒトの神経細胞のポテンシャルたるや、素晴らしいと感服である。ヒトのシナプスに興味があるなら是非、原著5を読んでいただきたい。シナプスのもう一つの大きな特徴は、前述したシナプス可塑性である。とりわけ興奮性シナプスの形成部位であるスパインは、学習・経験に応じて数秒から数分でその形態・サイズが劇的に変化し、それに伴い電気的伝達効率を変化させる6。長期増強刺激(反復刺激後に起こるシナプス結合強度の機能的増強)では元のサイズの数倍にそのサイズを増加させ、それとは対照的に長期抑圧刺激ではスパインサイズの減少のみならずスパインそのものが消失することが知られている。そのようなスパインが、ヒトの大脳皮質には約百兆個もあり、グルタミン酸やGABAなどの神経伝達物質やセロトニンやドーパミンなどの神経修飾物質によって、シナプス強度を逐次改変し、神経回路を物理的に書き換えるというイベントが常に生じているわけである。
脳の作動原理など分からなくとも治療はできる?
このような極めて複雑な脳機能は、精神疾患でどのように変容しているのか?シナプスから細胞、回路、行動までを因果関係を持って理解することは、非常に難易度の高い課題である。そもそも、どの神経回路の、どの機構が原因なのかも明確になっていない。シナプス入力の異常なのか、結合様式の異常なのか、神経統合・神経演算の異常なのか?それとも、シナプスの可塑性が病因なのか、だとしたら、そのような異常な可塑的変化を元に戻せば、治癒への回帰プロセスへ至るのか?明確なエビデンスは全くないというのが現状である。従ってメカニズムに立脚した治療法に到達できる筈がない。そのような中で、治療抵抗性うつ病に対するDBSに関する論文7に、筆者は大きな衝撃を受けた。DBSの効果の不均一性は言うまでもないが、それは、気分を制御する神経回路の理解が不十分であるし、それに加えて、大きな個人差があることに起因する。そこで本論文の著者らは、神経回路の挙動とそれに対するDBS刺激を個別最適化するために、10本の頭蓋内記録を患者に留置し、これらから脳活動を記録し、そのときにどのような気分状態なのか、そしてDBS刺激に対して患者の神経回路がどのように反応するかという電気生理データを蓄積した。これらのビックデータから、どのようなDBS刺激を行えば、どのような気分状態になるかという逆問題をデータ駆動的に解くことで、個人に最適化されたDBSパラメータを作出した。そして、この最適化刺激は、その後の二重盲検無作為化フェーズにおいて、症状の寛解とQOLの劇的な改善につながり、最適化されていない刺激に切り替わると、症状は急激に増悪した。
脳の作動原理に立脚した治療法の開発
脳はブラックボックスのままでも、データ駆動型の逆問題さえ解ければ、患者は良くなるのだという症例報告を突き付けられたのだ。実際に、この例においては、なぜ患者がうつ病になったのか、そしてなぜ治療抵抗性だったのか、そしてその症状が何故DBSで緩解したのかは、何一つ分からない。しかし、症状は寛解した。結果オーライなのから良いではないかと思う方々もいるかもしれない。しかし、筆者はそのような結論には至らなかった。治療抵抗性うつ病患者に10本の頭蓋内電極を刺し、8か月のDBSプロトコール最適化期間を得ることは現実的ではない。データ駆動で完結するのではなく、モデル駆動の研究も大切であるし、理論化できれば、少なくともある一部の現象に関しては普遍性を持たせられるという思想である。全く別の例えをすれば、過去の膨大な天体データに基づき、どの惑星が、いつ、どこにあるかを計算することはデータ駆動で解ける問題である。昨今のAIが得意とする作業であろう。しかしAIは、このような原理原則を、宇宙の秩序を端的に表す理論(ケプラーの法則)として数式にすることはできない。理論として確立することで、その理論や仮説の正しさを実験で検証することができる。実験で証明するのである。基礎神経科学は、光遺伝学の確立をもって、神経回路動態と行動との因果関係を次々と生物学的なレベルで証明してきた。その数多くある成功例は他の総説に実に譲るとして、DBSがコカイン依存モデルマウスの行動を正常化させるという論文が興味深い8。コカイン依存モデルマウスは、ヒト中毒患者と同じように、長期に渡って強い行動感作を示す。そして、コカインの投与により、側坐核のドーパミンD1受容体中型有棘ニューロンへの興奮性シナプス入力が増強することもマウスモデルで明らかになった。そこで、このシナプス増強がコカインによる行動感作の原因という仮説を立て、光遺伝学的手法を用いて見事にこの仮説が正しいことを示した。そして薬理学的実験を組み合わせることで、最も有効な光遺伝学的プロトコールには、ドーパミンD1受容体中型有棘ニューロンの代謝型グルタミン酸受容体(mGluR)の活性化が必要であることも明らかになった。すなわち、コカイン依存症の改善のためには、どの細胞の、どのシナプスの、どの分子が重要かというメカニズムが明らかになったのである。次に、この光遺伝学の知見を還元し、DBSプロトコールの最適化を目指した。その結果、ドーパミンD1受容体を選択的に遮断することで、急性の低周波DBSが、光遺伝学的手法によるmGluR依存的なシナプス伝達の正常化を模倣することを発見した。その結果、最適化DBSは、長期にわたって行動感作を消失させたのである。光遺伝学の知見がなければ、辿り着くことは美しい成果であり、分子からシナプス、細胞、行動までを結び付けた多階層因果律の解明はお見事である。
まとめ
多くの精神神経疾患がシナプス原性の病態生理を呈する中、病態生理への責任回路を同定する研究はヒトでは限られている。動物モデルですら、多くの精神疾患モデルが作成されている中で、病因と表現型の因果関係まで踏み込んだ研究は非常に少ないのが現状である。モデル動物と基礎神経科学研究によって、明らかに病態生理に直結する神経回路が同定されれば、その回路を標的にした"Circuit-Centricな"治療戦略を大きく推進させる可能性を秘める。
参考文献